前回のあらすじ 求める人材像の定義(「採り、育て、評価し、報いる」すべての人事施策の基盤)、検討の3つの観点(経営理念・経営戦略・組織風土)、パナソニックの具体例によるゴールイメージ、設計の3ステップ(現状分析→人材像設計→人材育成方針)を学んだタクさんとヒカリちゃん。「まず社長にビジョンを聞きに行こう」と準備を整えた。 ▶ 前回の記事はこちら
現状分析のフレームワーク――社長室に向かう前に
人事課5日目の朝。タクさんとヒカリちゃんは、社長室に向かう廊下を並んで歩いていた。
ヒカリちゃんが手元のノートを開いた。昨日二人で整理した、現状分析のフレームワークが書かれている。
現状分析のフレームワーク(3つの整理)
1.変わらないもの
基本思想(経営理念・MVV)
コアコンピタンス(強みの源泉)
2.変わっていくもの
事業環境の変化
短期・中期の経営戦略
人的資本の課題
3.社員に求める行動
1,2に基づき、対社外・対社内で整理
☆今日の目標 → 1を社長から引き出す
経営理念と、コアコンピタンス。
この二つを社長の言葉から引き出して言語化するのが目標です
また横文字か。
営業のカタカナ語にはだいぶ鍛えられたけど、人事のカタカナ語はまた別物やな
ネジマキ精工がお客様に選ばれ続けている理由の根っこ、と考えてください
ほな聞くべきことは二つ。
「ネジマキ精工が絶対に変えたくないものは何か」と「他社と違うところは何か」やな
さすが元営業、ヒアリングの組み立ては早いですね
よっしゃ行こう
タクさんはメモ帳とペンを握りしめ、社長室のドアをノックした。
社長が語る「変えたくないもの」――経営理念の掘り起こし
社長室に入ると、巻島社長がソファに座って待っていた。現場上がりの社長らしく、スーツの袖をわずかにまくっている。机の上には工場のレイアウト図が広げられたままだ。
そっちが新人の仕上さんか。
まあ座って
ずばり聞きます。ネジマキ精工が絶対に変えたくないものって何ですか?
巻島社長は腕を組み、しばらく黙った。
うーん、改まって聞かれると難しいな
沈黙が数秒続いた。タクさんは営業時代の癖で、相手が考えている間は待つことを知っていた。沈黙を恐れない。これが営業で学んだ大切なスキルだ。
やがて社長が口を開いた。
あの人がよく言っとったのは、"ものをつくるっちゅうことは、信用をつくることや"ってことやな
親父は町工場から始めて、一個一個のネジに魂込めとった。
精度が命やと。
お客さんが"ネジマキさんの部品なら安心や"と思ってくれる。
それが全部の始まりやと
ヒカリちゃんがメモを走らせている。社長は続けた。
"機械は買い替えられるけど、人は替えがきかん。
人を大事にせなあかん"って
社長がネジマキ精工で大事にしたいことは
俺は……お客さんとの約束を守ること、やな。
納期も品質も、約束したことは何があっても守る。
それと、社員がここで働いてよかったと思える会社にしたい。
カッコよく言えんけど、そういうことや
タクさんはメモを取りながら、社長の言葉を頭の中で整理していた。営業時代、顧客のニーズを引き出してから提案書にまとめる作業と似ている。相手の言葉を「翻訳」する力が、ここで活きる。
タクさんがホワイトボードに書き出した。
二つ目、「お客様との約束を必ず守る」。
三つ目、「社員一人ひとりを大切にし、成長できる会社をつくる」
社長がじっとホワイトボードを見つめた。
そうや、そういうことが言いたかったんや。
俺が何年もぼんやり思っとったことが、三行になったな
社長の中にはずっとあったけど、言葉になっていなかった
でも想いだけはあるんや
言葉にするのは俺らの仕事ですから
ヒカリちゃんがタクさんを見た。少しだけ感心した目だった。
コアコンピタンスの3層構造――「NOと言わない」が生んだ強み
ネジマキ精工が他社と違うところって何ですか?
お客さんに選ばれてる理由というか
社長は即答した。
タクさんの手が止まった。
その一言で、営業時代の記憶がよみがえった。得意先から無茶な納期や特殊な加工を頼まれたとき、いつも現場が何とかしてくれた。「ネジマキ精工さんなら何とかしてくれる」と客先で言われたこと。それが自分の営業成績を支えていたこと。
俺、営業でめちゃくちゃ助けられてました。
お客さんが「ネジマキさんに頼んどけば大丈夫」って言うてくれてたんは、現場のその姿勢があったからやったんか
親父の代からの社訓みたいなもんやな。
"まず受ける。断らん。そこから考える"。
それでお客さんに信頼してもらって、仕事が広がっていった
まあ、現場の連中が粘るんやな。
図面を見て、治具を工夫して、段取りを変えて。
時には残業もして……。
とにかくきめ細かくやる。
大手みたいに設備でカバーするんじゃなくて、人の力と柔軟さでカバーしてきた
一貫して任せてもらえるようになったんや
ヒカリちゃんがペンを走らせながら、タクさんに目配せした。
やってみるわ
タクさんがホワイトボードに図を描き始めた。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
ネジマキ精工のコアコンピタンス【3層構造】
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
第1層 ▶ 姿勢(根っこ)
──────────────────────────────────
どんな依頼にもNOと言わない。
まず受け止めるところから信頼が始まる。
→ 創業者から受け継いだネジマキ精工のDNA
↓ この姿勢があるから……
第2層 ▶ 実行力(真ん中)
──────────────────────────────────
受けた仕事を、きめ細かい現場対応力と
柔軟さで実現する。設備ではなく人の力で応える。
→ 現場の職人たちの技術と粘り
↓ これを繰り返してきた結果……
第3層 ▶ 専門性の蓄積(積み上げ)
──────────────────────────────────
特定顧客向けの一貫生産体制に
他社には真似できない強みが蓄積された。
→ 「ネジマキさんにしかできない」と言われる領域
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
社長がホワイトボードに見入った。
一番下が姿勢で、真ん中が現場の力で、一番上がお客さんから見た結果、か
そしてこの3つは全部つながっています。
第1層の姿勢がなければ第2層の実行力は発揮されないし、第2層の積み重ねがなければ第3層の専門性は生まれない
ここが崩れたら全部崩れる
そこだけは、何があっても変えたらあかんな
社長が静かに、しかし力強くうなずいた。
見えてきた課題と、現場の声の必要性
社長の表情がふと曇った。
俺もうまく言葉にできてなかったくらいやから
毎日の作業に追われて、なんでこのやり方なのか、なんで"まず受ける"なのか、分からんまま働いとるんちゃうかと思うんや
理念やコアコンピタンスを「日々の行動レベル」に翻訳することで、現場の一人ひとりに届くようになる
タクさんは少し考えてから言った。
現場で一番影響力がある鋳型さんにも話を聞かせてもらっていいですか?
理念や強みが現場でどう感じられてるか、現場側の声も必要やと思うんです
社長が苦笑した。
あいつは頑固やからな。
"人事が何しに来た"って顔されるかもしれんぞ
営業時代、門前払いには慣れてますから
俺から鋳型に一声かけとくわ。
あいつも根は悪いやつじゃないからな
メモ帳を忘れた男の決意
社長室を出た廊下。タクさんは大きく息を吐いた。
経営理念の3本柱と、コアコンピタンスの3層構造。
「変わらないもの」の輪郭がはっきり見えてきたで
でもまだフレームワークの❶が終わっただけです。
次は❷「変わっていくもの」。事業環境の変化や経営課題に向き合わないと、現状分析は完成しません
俺も営業から人事に変わったし、変化には慣れてるで
ヒカリちゃんが足を止めた。
タクさんが自分のポケットをまさぐった。メモ帳がない。
取りに行ってください
タクさんは小走りで社長室に戻っていった。その背中を見ながら、ヒカリちゃんはノートに小さく書き足した。
「変わらないもの:タクさんの忘れ物癖」
次回予告 「変わらないもの」の言語化に成功した二人は、次に「変わっていくもの」に向き合う。事業環境の変化、特定顧客への売上集中リスク、人が辞めていく現実、DXの遅れ――ネジマキ精工が直面する課題は想像以上に深かった。そして現場責任者・鋳型剛がついに登場。「人事が現場に口出すな」と突き放されたタクさんは、どう切り返すのか。第6回、現状分析は核心に踏み込む。
参考書籍:『研修体系とスキルマップのつくりかた』 この物語はフィクションですが、学びの内容は本書に基づいています。