スモールビジネスの作り方 学ぶシリーズ

関西で月10万円稼ぐ地域密着コンサルティング|50代会社員の週末起業成功事例

※本記事は、実際の事例を基にした仮想物語です。登場人物や企業名は全てフィクションですが、内容は実践可能な具体的手法を含んでいます。

第1章 梅田のビル街から見えた新しい道

2024年の春、大阪梅田の高層ビル32階。窓から見える御堂筋の景色は、いつもと変わらない。しかし、山田浩司(52歳)の心境は、この1年で大きく変わっていた。

「また会議か...」

朝8時半、既にデスクには分厚い資料が積まれている。大手電機メーカーで営業企画部の部長を務めて25年。傍から見れば順風満帆のキャリアだった。

しかし、最近の組織再編で部下が半減。仕事量は変わらないのに、評価は年々厳しくなる。55歳での役職定年も見えてきた。何より、自分の仕事が本当に誰かの役に立っているのか、実感が持てなくなっていた。

「山田部長、例の新規事業の件ですが...」

若手社員の声で我に返る。彼らの提案を聞きながら、山田は思った。この会社で培ったノウハウ、もっと直接的に誰かの役に立てる方法はないだろうか。

その日の帰り道、阪急電車の中吊り広告が目に留まった。「関西の中小企業、後継者不足で廃業危機」という見出し。記事によれば、大阪府下だけでも年間3000社以上が廃業しているという。技術力はあるのに、経営ノウハウや販路開拓で苦戦している企業が多いらしい。

「これや...」

山田の脳裏に、一つのアイデアが浮かんだ。自分が25年かけて身につけた営業戦略立案、新規開拓のノウハウ、海外展開の経験。これらを必要としている中小企業は、きっとたくさんあるはずだ。

第2章 十三の居酒屋で始まった作戦会議

金曜日の夜9時、十三の路地裏にある居酒屋「串かつ大将」。山田は学生時代からの親友、税理士の田中と向かい合っていた。

「浩司、それおもろいやん。でも、いきなり会社辞めるんか?」

田中の心配そうな顔を見て、山田は首を横に振った。

「いや、まずは週末だけや。土日使って、少しずつ始めてみようと思ってる」

山田は、ここ1ヶ月で考えた計画をノートに書き出した。自分の経験を整理すると、3つの強みが見えてきた。

まず、BtoB営業の仕組み作り。大企業での営業プロセス標準化の経験は、属人的な営業に頼りがちな中小企業には価値があるはず。次に、展示会やウェブを使った新規開拓手法。そして、アジア市場への販路開拓ノウハウ。特に、5年間の上海駐在経験は強みになる。

「でもな、浩司。中小企業の社長さんて、大企業のやり方嫌うで」

田中の指摘は的を射ていた。確かに、大企業の論理をそのまま押し付けても通用しない。

「せやから、『翻訳』が必要やねん。大企業のええとこだけ抽出して、中小企業でも使える形に落とし込む。それが俺の役割や」

二人は夜遅くまで議論を重ねた。田中の顧客である中小企業の悩み、関西特有の商習慣、信頼関係の作り方。話は尽きなかった。

「まず、名刺作らなあかんな」

「ホームページも要るで」

「でも、金かけすぎたらあかん。最初は最小限で」

結局、初期投資は名刺印刷代3000円と、簡易的なホームページ制作費3万円に抑えることにした。

第3章 最初の一歩は東大阪の町工場から

準備を始めて2ヶ月後の土曜日朝8時。山田は近鉄布施駅に降り立った。今日は、田中の紹介で知り合った金属加工会社の社長と会う約束だ。

「ナカムラ精工」は、従業員15名の典型的な町工場。社長の中村は60歳。息子は大手企業に就職し、後継者がいない。

「山田さん、うちみたいな小さい会社に、ほんまに興味あるんですか?」

社長室と呼ぶには狭すぎる応接スペースで、中村は遠慮がちに聞いた。

「中村社長、失礼ですが、御社の技術力、もったいないと思いませんか?」

山田は工場を見学させてもらった時の印象を語った。0.01ミリの精度で加工できる技術、それを支える熟練工の技。これだけの技術があれば、もっと高付加価値の仕事が取れるはずだ。

「技術はあるけど、営業がでけへんねん。ウチは下請けばっかりで...」

中村の言葉に、山田は身を乗り出した。

「社長、提案があります。まず3ヶ月、月2回土曜日に訪問させてください。御社の技術を活かせる新規顧客開拓の作戦を一緒に考えましょう」

山田の提案はシンプルだった。月額5万円で、月2回各3時間のコンサルティング。内容は、営業資料の作成支援、展示会出展のアドバイス、新規開拓先のリストアップと訪問同行。

「月5万円かぁ...」

中村は悩んだ。年間60万円は小さな会社には大きな出費だ。

「社長、まず1回だけ、無料でやらせてください。それで判断してもらえませんか?」

この提案が功を奏した。

2週間後、山田は中村と一緒に、大阪産業創造館で開催された「ものづくり商談会」に参加した。山田が事前に作成した「技術力アピールシート」と「加工サンプル展示」が来場者の目を引いた。

「へぇ、こんな精密加工ができるんですか」

医療機器メーカーの購買担当者が足を止めた。山田は、相手のニーズを聞き出しながら、ナカムラ精工の強みを的確に伝えた。中村は横で、山田の話術に感心していた。

商談会終了後、3社から具体的な引き合いがあった。

「山田さん、これ、ほんまにすごいわ。お願いします、うちのコンサルタントになってください」

中村の目には、希望の光が宿っていた。

第4章 関西流の信頼関係構築術

ナカムラ精工での成功を皮切りに、山田の評判は少しずつ広がり始めた。しかし、関西でのビジネスには独特の難しさがあった。

ある日、豊中市の食品加工会社を訪問した時のこと。社長の藤本は開口一番、こう言った。

「山田さん、あんた東京の大企業におったんやろ?そんな人が、なんでウチみたいな会社に来るん?なんか裏があるんちゃうか?」

関西人特有の直球の問いかけ。山田は正直に答えた。

「藤本社長、正直に言います。私、会社では出世コースから外れてます。でも、25年間で学んだことは本物です。それを、本当に必要としてくれる人の役に立てたい。それだけです」

「ふーん...ほな、手料理でも食べていき」

突然の展開に戸惑いながらも、山田は社長夫人の手料理をご馳走になった。たこ焼き、お好み焼き、そして自家製のぬか漬け。食事をしながら、藤本は自分の苦労話を語り始めた。

創業30年、順調に成長してきたが、最近は大手スーパーとの価格競争で利益率が低下。新商品開発もうまくいかない。息子は継ぐ気がなく、廃業も考えている。

「社長、御社の強みは『手作り感』と『地元愛』です。それを前面に出した商品開発をしましょう」

山田の提案は、地域限定商品の開発と、SNSを使った情報発信だった。「豊中のおばちゃんが作る、ほんまもんの味」というコンセプトで、製造過程を動画で公開。地元の野菜を使った惣菜シリーズを企画した。

3ヶ月後、地元テレビ局が取材に来た。売上は20%増加し、利益率も改善した。

「山田さん、あんたは口だけやない。ほんまに、ウチのこと考えてくれてる」

藤本の信頼を得たことで、豊中の企業ネットワークにも招待されるようになった。月一回の経営者交流会では、山田は「大企業出身やけど、ええ人や」という評判が立った。

第5章 週末起業から見えてきた課題と突破口

コンサルティングを始めて4ヶ月。契約企業は3社になり、月収は15万円に達した。しかし、新たな課題も見えてきた。

土日だけの活動では、クライアントの要望に十分応えられない。平日の商談会に同行できない、緊急の相談に対応できない。何より、体力的にきつくなってきた。平日は会社、週末はコンサルティング。休む暇がない。

ある日曜日の夕方、山田は妻の美智子に打ち明けた。

「美智子、俺、会社辞めようと思ってる」

美智子は驚かなかった。むしろ、待っていたという表情だった。

「浩司さん、最近生き生きしてるもん。会社の愚痴も減ったし。でも、収入は大丈夫?」

山田は計算を見せた。現在の3社を継続しつつ、月2社ずつ新規開拓すれば、半年後には月収40万円が見込める。退職金と貯金を合わせれば、2年は問題ない。

「それに、俺にはこれがある」

山田は、この4ヶ月で作成した「中小企業向け営業改革マニュアル」を見せた。クライアント企業での実践例、成功事例、失敗から学んだ教訓。全てが詰まっている。

「これを商品化すれば、コンサルティング以外の収入源にもなる」

美智子は頷いた。

「浩司さんが決めたなら、私は応援する。でも、健康だけは気をつけてね」

翌月、山田は早期退職制度を利用して会社を去った。52歳での新たな船出だった。

第6章 地域密着の真の意味を知る

独立して2ヶ月後、山田は大阪市内にシェアオフィスを借りた。月額2万円の小さなスペースだが、名刺に住所が書けるのは大きい。

この頃、山田のコンサルティングスタイルは確立されつつあった。

月曜日は資料作成とオンラインミーティング。火曜から木曜は企業訪問。金曜日は商工会議所のセミナーや交流会参加。土日は、遠方のクライアントや新規開拓。

ある日、堺市の金属加工会社「サカイ工業」の相談を受けた。社長の坂井は35歳。父親から会社を継いで3年目だが、売上が低迷している。

「山田さん、父の代からの取引先が次々と海外に移転して...もう限界です」

坂井の表情は暗い。山田は工場を見学し、従業員と話をした。そこで気づいたのは、若い社長と古参従業員の間の溝だった。

「社長、問題は外部環境だけやありません。内部のコミュニケーションから改善しましょう」

山田の提案は意外なものだった。月一回、全従業員参加の「アイデア会議」を開催する。テーマは「うちの技術で、地域に貢献できることは何か」。

最初は渋っていた古参従業員も、徐々に意見を出すようになった。「近所の病院の車椅子、もっと軽くできるんちゃうか」「商店街のシャッター、防犯性能上げられるで」

地域のニーズと自社の技術を結びつける。この発想が、サカイ工業を変えた。地元の病院、介護施設、商店街から次々と特注品の依頼が来るようになった。

「山田さん、地域密着って、ただ地元で商売するだけやないんですね」

坂井の言葉に、山田も学ぶものがあった。大企業にいた時は、市場を数字でしか見ていなかった。しかし、地域密着とは、顔の見える関係の中で、互いに支え合うことなのだ。

第7章 ネットワークが生んだ相乗効果

独立から6ヶ月、山田のクライアントは8社になった。月収は目標の40万円を超え、45万円に達していた。しかし、山田が最も価値を感じていたのは、収入よりもクライアント同士の化学反応だった。

ある日、山田は思い切って「関西ものづくり経営者の会」を立ち上げた。場所は、梅田の貸会議室。参加費は一人3000円。第1回の参加者は、クライアント企業の社長8名だった。

「皆さん、今日は仕事の話は抜きにして、お互いの悩みを共有しませんか」

最初は遠慮がちだった社長たちも、ビールが入ると本音が出てきた。後継者問題、資金繰り、人材不足。悩みは共通していた。

「うちの息子、まだ修行中やけど、よかったら中村さんとこで勉強させてもらえませんか」

豊中の藤本が、東大阪の中村に提案した。

「ええよ。その代わり、うちの若手にも営業のコツ教えたってや」

こうして始まった人材交流は、両社に新しい風を吹き込んだ。

さらに興味深い展開もあった。堺のサカイ工業が開発した軽量車椅子のフレームを、ナカムラ精工が精密部品を供給し、藤本の会社が座面クッションを提供する。3社共同プロジェクトが生まれたのだ。

「山田さん、これ、めっちゃええやん。一社じゃできひんことも、みんなでやったらできる」

中村の言葉に、皆が頷いた。

山田は気づいた。自分の役割は、単に個別企業をコンサルティングすることではない。企業同士をつなぎ、地域全体を活性化することなのだと。

第3回の経営者の会には、口コミで15名が参加した。商工会議所の職員も見学に来た。

「山田さん、これ、商工会議所の公式イベントにしませんか」

この提案により、山田は商工会議所の「中小企業支援アドバイザー」にも就任することになった。謝礼は少ないが、信用度は格段に上がった。

第8章 挫折と学び、そして次なる展開

独立から8ヶ月目、山田は初めて大きな挫折を経験した。

守口市のプラスチック加工会社「モリグチ化成」。社長の森口は45歳、二代目だ。最新設備を導入し、規模拡大を目指していた。

「山田さん、うちを関西ナンバーワンのプラスチック加工会社にしてください」

森口の野心的な目標に、山田も燃えた。大手メーカーへの売り込み、展示会での大規模ブース出展、ウェブマーケティングの強化。山田は持てる知識を総動員した。

しかし、3ヶ月後、森口から契約解除を告げられた。

「山田さんの言う通りにしたら、経費ばっかりかかって、成果が出えへん。もう無理です」

山田はショックを受けた。何が間違っていたのか。

答えは、ナカムラ精工の中村が教えてくれた。

「山田さん、モリグチさんとこは、背伸びし過ぎや。大企業のマネしても、体力が持たへん」

確かに、山田は森口の野心に引きずられ、企業規模に見合わない提案をしていた。地域密着を謳いながら、大企業の論理を押し付けていたのだ。

この失敗から、山田は重要な教訓を得た。コンサルタントの役割は、クライアントの夢を実現することではない。現実を直視し、身の丈に合った成長戦略を共に考えることだ。

翌月、山田は「中小企業のための身の丈経営戦略」というセミナーを開催した。失敗談も包み隠さず話した。

「背伸びせず、でも諦めず。自分たちの強みを活かして、地域と共に成長する」

このメッセージは、多くの経営者の共感を呼んだ。セミナー後、5社から相談依頼が来た。

第9章 月10万円から始まる持続可能なモデル

独立から1年。山田のビジネスは安定期に入った。クライアントは12社、月収は60万円を超えた。しかし、山田はあえて規模拡大を控えた。

「これ以上増やすと、一社一社と向き合えなくなる」

山田は、新たなビジネスモデルを構築した。

基本コンサルティング(月5万円×10社)に加え、スポット相談(1回2万円)、セミナー講師(1回5万円)、そして新たに始めた「オンライン相談サービス」(月額1万円×20社)。

オンライン相談は、遠方の企業や、まだフルコンサルティングには踏み切れない企業向けだ。月1回のビデオ面談と、随時のメール相談。これが予想以上に好評だった。

「山田さん、月1万円なら、うちでも払える」

奈良県の小さな工務店、和歌山の水産加工会社、滋賀の伝統工芸品メーカー。関西全域から相談が来るようになった。

さらに、山田は後進の育成にも力を入れ始めた。

「50代サラリーマンのための週末起業塾」を月1回開催。自身の経験を基に、リスクを抑えた起業方法を伝授した。

参加者の一人、神戸の大手商社に勤める松本(54歳)は、山田の影響で貿易コンサルタントとして独立準備を始めた。

「山田さんみたいに、まず週末から始めます。自分の経験が、誰かの役に立つって素晴らしいですね」

山田のモデルは、単なるビジネスではなく、50代サラリーマンの新しい生き方の提案になっていた。

最終章 地域と共に生きるということ

2025年の春、独立から1年半。山田は新たな挑戦を始めていた。

「関西ものづくり総合支援センター」の設立だ。場所は、大阪市内の古いビルの1フロア。家賃は、クライアント企業10社で分担。山田はセンター長として、常駐することにした。

センターの機能は3つ。企業間マッチング、共同受注の窓口、そして若手経営者の育成だ。

ある日、センターに一人の青年が訪ねてきた。大阪大学工学部の学生、田村だ。

「僕、卒業したら起業したいんです。でも、何から始めればいいか...」

山田は、田村を東大阪のナカムラ精工に連れて行った。

「田村君、まず現場を知ることや。技術があっても、それを事業にするのは別の話」

中村も快く受け入れてくれた。

「若い子が、ものづくりに興味持ってくれるのは嬉しいわ」

3ヶ月後、田村は面白い提案を持ってきた。

「山田さん、IoTを使って、中小企業の工場を効率化するシステムを作りたいんです」

田村のアイデアと、中小企業のニーズ、そして山田のネットワーク。これらが結びつき、新たなプロジェクトが始まった。

2025年の夏、山田は還暦を前に、これまでを振り返った。

月10万円を目指して始めた週末起業。それは今、地域全体を巻き込んだ大きな流れになっていた。収入は安定し、何より、毎日が充実している。

「お父さん、最近楽しそうやね」

久しぶりに実家に帰ってきた息子が言った。

「そうか?まあ、好きなことやってるからな」

夕食の席で、山田は息子に語った。大企業での経験も無駄ではなかった。しかし、本当の価値は、その経験を必要としている人に届けることで生まれる。

「地域密着って、要は人と人との繋がりやねん。顔が見える関係の中で、お互いに支え合う。それが、これからの時代の働き方かもしれん」

窓の外では、夕焼けが大阪の街を赤く染めていた。通天閣も、梅田のビル群も、東大阪の工場地帯も、全てが一つの風景として溶け合っている。

山田は思った。この街で、この地域で、まだまだやれることがある。月10万円から始まった挑戦は、今や彼の人生そのものになっていた。


エピローグ あなたも始められる、地域密着コンサルティング

山田の物語は、一つの可能性を示している。50代のサラリーマンが持つ経験と知識は、地域の中小企業にとって貴重な財産だ。

重要なのは、大きく始める必要はないということ。月10万円という現実的な目標から始め、徐々に広げていく。名刺とシンプルなホームページがあれば、今すぐにでも始められる。

関西という地域性も味方になる。人情味があり、一度信頼関係ができれば長く続く。東京のようなドライな関係ではなく、「顔の見える」ビジネスができる。

最初の一歩は、自分の棚卸しから。25年、30年のキャリアの中で、当たり前にやってきたことが、中小企業にとっては宝の山かもしれない。営業ノウハウ、生産管理、品質管理、海外展開、IT活用。何でもいい。

そして、地元の商工会議所のセミナーに参加してみる。中小企業の社長たちと話をする。彼らが何に困っているか、自分に何ができるか。答えは、そこにある。

山田のように、最初は無料でも構わない。信頼関係ができれば、適正な対価は後からついてくる。

週末起業から始めて、徐々に独立への道を探る。リスクを最小限に抑えながら、新たな人生の可能性を広げる。

関西の地で、あなたの経験を待っている企業がきっとある。月10万円から始まる、地域密着コンサルティング。それは、収入以上の価値と充実感をもたらしてくれるはずだ。

第二の人生を、地域と共に歩む。そんな選択肢が、今ここにある。

(了)

 

-スモールビジネスの作り方, 学ぶシリーズ
-, , , , , , , , , , , , , , , , , , ,