※本記事に登場する企業や人物は、わかりやすく説明するための架空の事例です
「今期の目標は売上1000万円アップです!」
月曜日の朝礼でそう宣言したのは、もう3ヶ月も前のこと。あなたの会社でも、こんな光景に見覚えはありませんか。目標を掲げた時は、社員全員が「がんばります!」と頷いてくれた。でも、今週の進捗会議で「売上目標の達成状況は?」と聞いても、返ってくるのは「まあ、なんとか…」という曖昧な返事ばかり。結局、月末になって数字を見て一喜一憂する日々が続いている。
従業員12名の印刷会社を経営する田中さん(仮名)も、まさにそんな悩みを抱えていました。「売上を上げたい」という思いは社員と共有しているはずなのに、日々の業務に追われるうちに、目標のことなんてすっかり忘れ去られてしまう。かといって、毎日「目標は?」と言い続けるのも息苦しい。そもそも、売上を上げるために今日何をすればいいのか、誰もわかっていないような気がする。
そんな田中さんがOKRという目標管理の手法に出会ったのは、あるビジネス交流会でのことでした。「GoogleやIntelが使ってる方法らしいよ」という話を聞いて、最初は「ああ、大企業の話ね」と思って聞き流そうとしたそうです。自分たちのような小さな会社には関係ない、そう思い込んでいたから。
でも、よくよく話を聞いてみると、OKRは大企業のためだけのものではなかった。むしろ、少人数で動く小さな会社でこそ、その真価を発揮するフレームワークだったのです。
なぜ小さな会社にこそOKRが必要なのか
大企業がOKRを使っているという話を聞くと、確かに「うちには関係ない」と思ってしまいますよね。分厚いマニュアルを作って、専任の管理担当者を置いて、毎月何時間もかけて進捗会議をする。そんなイメージを持っているかもしれません。
でも、考えてみてください。小さな会社には、大企業にはない大きな強みがあります。それは「全員の顔が見える」ということ。社長の思いが直接メンバーに届くし、現場の声もすぐに経営判断に反映できる。この距離の近さこそが、OKRを機能させる最高の条件なんです。
従来の目標管理手法、たとえばMBO(目標管理制度)は、個人の目標を細かく設定して評価に結びつけるものでした。でも、小さな会社で個人の目標を細かく管理すると、かえって窮屈になってしまう。「私の仕事はここまで」という壁ができて、助け合いの文化が薄れていく。KPI(重要業績評価指標)も、数字を追いかけることが目的になってしまい、「なぜその数字を追うのか」という本質が見えなくなりがちです。
OKRが違うのは、「みんなで同じ山を登る」という感覚を作り出せることです。会社全体の大きな目標があって、それぞれのチームや個人がどう貢献するかを考える。しかも、3ヶ月ごとに見直すから、「今期失敗したら来年まで引きずる」という重苦しさもない。小回りが利く小さな会社だからこそ、この柔軟性を最大限に活かせるわけです。
田中さんの印刷会社では、OKRを導入する前、目標といえば「売上目標」だけでした。でも、売上という結果だけを見ていても、具体的に何をすればいいのかわからない。営業担当の佐藤さんは新規開拓に力を入れ、デザイン担当の鈴木さんは品質向上に注力し、それぞれが「これが会社のためになるはず」と信じて動いていた。でも、その努力が本当に同じ方向を向いているのか、誰にもわからなかったんです。
OKRの基本:ワクワクする目標と測れる結果
OKRは「Objectives and Key Results」の略です。日本語にすると「目標と主要な結果」。とてもシンプルな構造です。
Objective(目標)は、あなたの会社が3ヶ月後にどうなっていたいかを表す、ワクワクするような言葉です。数字は入れません。代わりに、チーム全員が「それ、やりたい!」と思えるような、感情を動かす表現を使います。
Key Results(主要な結果)は、その目標が達成できたかどうかを判断するための、測れる指標です。だいたい3つくらい設定します。これは具体的な数字で表現します。
たとえば田中さんの印刷会社では、こんなOKRを設定しました。
Objective:「地域で一番頼りにされる印刷パートナーになる」
これを聞いた時、社員の目が輝いたそうです。ただ売上を上げるのではなく、お客さんから本当に信頼される存在になりたい。そういう思いは、実は全員が心の奥で感じていたことでした。
そして、このObjectiveに対して、3つのKey Resultsを設定しました。
Key Result 1:リピート率を現在の45%から65%に上げる
新規顧客を追いかけるだけでなく、既存のお客さんにもう一度選んでもらえる会社になる。そのための具体的な数字です。
Key Result 2:納品後のお客様アンケートで「大変満足」の評価を80%以上獲得する
満足度を測る仕組みを作り、お客さんの声を真剣に聞く。それを数字で見えるようにします。
Key Result 3:デザイン提案から初回校正までの期間を平均7日から4日に短縮する
「頼りにされる」とは、スピードでもあります。お客さんが困った時に、すぐに応えられる体制を作る。それを測れる形にしました。
このOKRの良さは、全員が「何をすればいいか」をイメージできることです。リピート率を上げるには、納品後のフォローを丁寧にしよう。アンケートの満足度を上げるには、お客さんの要望をもっと深く聞こう。納期を短縮するには、社内の連携をスムーズにしよう。具体的なアクションが、自然と見えてくるんです。
逆に、こんなOKRは機能しません。
悪い例のObjective:「売上を向上させる」
これは目標というより、結果です。しかも、ワクワクしない。全員が「そうだね」とは思うけれど、心が動かない言葉です。
悪い例のKey Result:「顧客満足度を向上させる」
これは測れません。「向上」って、どのくらい?誰がどうやって判断するの?曖昧すぎて、達成したかどうかがわからないんです。
OKRで大切なのは、Objectiveで「心」を動かし、Key Resultsで「行動」を明確にすること。この両輪があって初めて、小さな会社でも全員が同じ方向を向いて走り出せます。
小さな会社流のOKR設定:3ステップで始める
「OKRっていいな」と思っても、実際にどうやって設定すればいいのか。田中さんの会社で実際にやった方法を紹介します。専門のコンサルタントを雇ったわけでも、何日もかけて会議をしたわけでもありません。ある金曜日の午後、3時間だけ時間を取って、全員で話し合いました。
ステップ1:みんなで「理想の会社」を語り合う
会議室のホワイトボードに、田中さんはこう書きました。「3ヶ月後、私たちの会社はどうなっていたい?」そして、一人ひとりに付箋を渡して、思いついたことを何でも書いてもらいました。
「お客さんから『ありがとう』って言われる仕事がしたい」「納期に追われるんじゃなくて、余裕を持って仕事したい」「新しい技術を使ってみたい」。最初は遠慮がちだった社員たちも、だんだん本音を語り始めました。
ここで大事なのは、売上や利益の話を最初から持ち出さないこと。もちろん、それらは大切です。でも、その前に「私たちは何のために働いているのか」「どんな会社だったら誇りを持てるのか」を語る時間を作る。小さな会社だからこそ、この対話ができるんです。
出てきた意見を眺めながら、田中さんは気づきました。みんな、「地域のお客さんに喜んでもらいたい」という思いを共有している。そこから、先ほどのObjective「地域で一番頼りにされる印刷パートナーになる」という言葉が生まれました。
ステップ2:「達成した」をどう判断するか考える
Objectiveが決まったら、次は「3ヶ月後、どうなっていたら達成したと言えるか?」を考えます。ここで陥りがちな失敗は、あれもこれもと欲張って、10個も15個もKey Resultsを設定してしまうこと。
大企業のOKR事例を見ると、たしかに細かい指標がたくさん並んでいます。でも、小さな会社でそれを真似すると、管理が目的になってしまう。数字を追いかけるだけで疲れてしまって、本来のワクワク感が消えてしまうんです。
田中さんの会社では、「本当に大事な3つだけ」と決めました。リピート率、満足度アンケート、納期短縮。この3つが改善されれば、確実に「頼りにされる印刷パートナー」に近づける。そう信じられる指標だけを選びました。
ここでのコツは、「今すぐ測れるか」を確認することです。リピート率は、顧客管理システムを見れば今日でもわかる。満足度アンケートは、まだ仕組みがないから作る必要がある。でも、簡単なアンケート用紙を作るだけなら、来週から始められる。納期は、デザイン担当の鈴木さんが手作業で記録していたデータがあったので、それを集計すれば現状が把握できる。
「測れる」というのは、複雑な分析システムが必要という意味ではありません。ExcelでもGoogleスプレッドシートでも、紙の記録でもいい。大切なのは、「進んでいるか、止まっているか」が全員にわかることです。
ステップ3:「誰が何をする」を決める
OKRを設定しただけでは、何も変わりません。ここからが本番です。それぞれのKey Resultに対して、誰がどんなアクションを取るのかを話し合います。
たとえば「リピート率を65%に上げる」というKey Resultに対して、営業の佐藤さんは「納品後1週間以内に必ずフォロー電話を入れる」と決めました。今までは、納品したらそれで終わりだったけれど、お客さんの声を聞く仕組みを作ろうと。
デザインの鈴木さんは「デザイン提案の際に、印刷後の活用方法まで一緒に考える」と決めました。ただチラシを作るのではなく、そのチラシをどう使えば効果が出るかまで提案する。それが「頼りにされる」ということだと気づいたから。
製造担当の山田さんは「週に一度、全員で工程会議を開いて、ボトルネックになっている作業を共有する」と提案しました。納期短縮のためには、誰かが頑張るのではなく、チーム全体で効率を上げる必要がある。
ここで田中さんが意識したのは、「完璧な計画を作らない」ということでした。3ヶ月間のアクションをすべて決めようとすると、会議が何時間あっても足りない。それに、やってみないとわからないことも多い。だから、「とりあえず1週間、これをやってみよう」という小さな一歩だけ決めて、あとは走りながら考えることにしました。
運用のリアル:週次ミーティングで軌道修正する
OKRを設定して、いざスタート。でも、設定しただけで放置していたら、結局は元の「朝礼で言って終わり」と同じになってしまいます。
田中さんの会社では、毎週月曜日の朝、15分だけ「OKRチェックイン」という時間を作りました。朝礼とは別に、3つのKey Resultsの進捗を全員で確認する時間です。
ここで大事なのは、「詰問の時間にしない」ということ。進んでいないことを責めるのではなく、「何が障害になっているか」「どうすれば前に進めるか」を一緒に考える場にする。
実際、最初の2週間は、あまり数字が動きませんでした。リピート率は相変わらず45%のまま。満足度アンケートは、お客さんに配り始めたものの、まだ回答が3件しか集まっていない。納期も、デザインから校正まで平均6.5日で、わずか0.5日の短縮にとどまっていました。
普通なら、ここで「やっぱりダメだ」と諦めてしまうところです。でも、OKRのいいところは、3ヶ月というタイムスパンで考えること。2週間で結果が出なくても、まだ10週間ある。焦らず、でも手を止めず、改善を続ける。
ある週のチェックインで、営業の佐藤さんがこう言いました。「フォロー電話、かけてるんですけど、お客さんが忙しい時間帯だと迷惑がられる気がして…」 すると製造の山田さんが「じゃあ、お客さんの業種ごとに、忙しくない時間帯をリストにしてみたらどうですか?」と提案。デザインの鈴木さんは「電話じゃなくて、感謝のメッセージカードを印刷物に添えるのもありかも」とアイデアを出しました。
15分の会議ですが、このやりとりで現場の知恵が集まり、アプローチが進化していく。少人数だからこそ、全員が全体を見渡せて、お互いに助け合える。これが小さな会社の強みです。
4週目あたりから、少しずつ数字が動き始めました。アンケートの回答が増え、「大変満足」の評価も70%を超えてきた。リピート率は52%まで上昇。納期も、社内のコミュニケーションを改善した結果、平均5.2日まで短縮できました。
そして面白いことに、数字が動き始めると、社員の表情が変わっていったんです。「自分たちのやっていることが、ちゃんと結果につながっている」という実感が、日々の仕事に意味を与えてくれる。これこそが、OKRがもたらす本当の価値でした。
軌道修正のタイミングは、「思ったような結果が出ない」と感じた時です。でも、それは失敗ではなく、学びのチャンス。「このアプローチはうまくいかなかった。では、別の方法を試してみよう」その柔軟性こそ、小さな会社の機動力です。
最初の一歩:完璧を目指さず、小さく始める
さて、ここまで読んで「よし、うちもやってみよう」と思ったあなた。素晴らしいです。でも、焦らないでください。
田中さんの会社の事例を読んで、「うちには、あんなにうまくいかないかもしれない」と思いましたか?安心してください。田中さんの会社だって、最初は試行錯誤の連続でした。
実は、最初に設定したKey Resultsのうち、1つは途中で変更しています。「デザイン提案から初回校正までの期間を4日に短縮する」という目標、これが思ったより難しかった。4日に固執していたら、品質が下がってしまう。それでは本末転倒です。そこで2ヶ月目に、「4日」を「5日」に変更し、代わりに「お客さんからの修正依頼が1回で完了する割合を60%に上げる」という指標を追加しました。校正の回数が減れば、結果的に納期も短くなるし、お客さんの手間も減る。そう考えたわけです。
OKRは、石板に刻むような固定的なものではありません。走りながら調整していい。むしろ、調整できることが強みなんです。
あなたの会社で明日から始められることは、こんな感じです。
今週中に、社員を集めて1時間だけ話し合ってみてください。テーマは「3ヶ月後、どんな会社になっていたい?」難しく考えず、理想を語り合う時間を作る。そこから、一つだけObjectiveを決めてみる。
来週は、そのObjectiveに対して、「何が達成できたら嬉しいか」を考えてみてください。いきなり3つのKey Resultsを完璧に設定しようとせず、まずは1つでも構いません。測れる指標を一つ決めて、それを週に一度チェックする習慣を作る。
最初の1ヶ月は、練習期間だと思ってください。うまくいかなくて当然。むしろ、「こういうやり方はうまくいかないんだ」という学びこそが財産です。完璧なOKRを作ろうとするより、不完全でもいいからやってみる。その過程で、あなたの会社に合ったやり方が見えてきます。
よくある質問に答えておきましょう。「OKRって、給与評価と連動させるべきですか?」答えは「最初は連動させない方がいい」です。OKRと評価を結びつけると、社員は達成しやすい低い目標を設定しようとします。それでは、挑戦する意味がない。OKRは、みんなでストレッチする目標。70%達成できたら上出来、くらいの感覚で設定するのがコツです。
「社員が5人しかいないんですけど、それでもOKRは使えますか?」もちろんです。むしろ5人だからこそ、全員で同じ目標を共有する価値があります。一人ひとりが会社の未来を左右する存在だからこそ、全員が同じ方向を向くことの意味は大きい。
「3ヶ月ごとに目標を変えるなんて、落ち着かないんじゃないですか?」実は逆です。3ヶ月だからこそ、集中できる。人間の集中力は、そんなに長く続きません。1年先の目標を掲げても、遠すぎて実感が湧かない。でも3ヶ月なら、「頑張ればできそう」という距離感。それに、3ヶ月で見直せるからこそ、市場の変化にも素早く対応できます。
あなたの会社の物語を始めよう
田中さんの印刷会社は、OKRを導入して半年が経ちました。今では、OKRなしの経営は考えられないと言います。数字も大きく改善し、リピート率は目標の65%を超えて71%に達し、満足度アンケートでは「大変満足」が85%に。納期も平均4.8日まで短縮できました。
でも、田中さんが本当に嬉しかったのは、数字の改善以上のことでした。社員たちが、自分たちの仕事に誇りを持ち始めたこと。「うちの会社、いい方向に向かってるよね」とお互いに声を掛け合うようになったこと。そして何より、お客さんから「最近、御社は変わったね。もっと仕事をお願いしたいよ」と言われるようになったこと。
OKRは、魔法の杖ではありません。導入したら一晩で会社が変わるわけでもない。でも、全員が同じ方向を向いて、一歩ずつ前に進むための羅針盤にはなってくれます。
あなたの会社にも、きっと素晴らしい可能性が眠っています。社員一人ひとりの中に、「こうなったらいいな」という思いがある。OKRは、その思いを言葉にして、形にして、みんなで追いかけるためのツールです。
大企業のような立派なシステムは要りません。専門家のサポートがなくても始められます。必要なのは、「明日から試してみよう」というあなたの一歩だけ。
さあ、来週の月曜日、朝礼の後に15分だけ時間を作って、社員に聞いてみてください。「3ヶ月後、どんな会社になっていたい?」って。そこから、あなたの会社の新しい物語が始まります。
小さな会社だからこそできること。全員の顔が見える距離だからこそ生まれる一体感。それを最大限に活かすのが、OKRという考え方です。完璧を目指さず、でも確実に前に進む。そんな旅を、今日から始めてみませんか。